つづくねっこシリーズ②「続いてく日々の日記」2 井尻貴子

2026.9.23

少し風が冷たくなった。
秋になったんだ、と思ったのは9月の3日。
虫の鳴き声もせみのそれから、鈴虫らしきものに変わった。

名前も知らなかった街に、住みはじめた。
それが、5ヶ月前。

どんな街なんですか、と街の人に聞くと、田んぼがたくさんありますよ、と言われた。
田んぼ、という響きが、まだ寒いというのに、蛙の鳴き声を連れてきた気がした。

3月の終わりから4月にかけて、1週間の間に2回引越しをした。
それから5ヶ月。

春が来て、夏がさり、秋になったんだろう。
遠目には固まった泥に見えた田んぼは、稲が植わり、ぐんぐんとのび、緑をひろげた。
と思っていたら、だんだんと先のほうから黄色くなってきたようだ。
トンボが飛ぶ田んぼを横目に、車を走らせる。
今は、ここに、住んでいる。

ともだち、できるかなぁ?
いよいよ引っ越しが近づいたという頃、こどもがつぶやいた。

引っ越すというのは、ただ単に住む場所が変わるということではない。その場所に馴染んだ心も体も引き連れて、それでもまた新しい土地に少しずつ馴染みなおすということでもある。
なんだかそわそわするし、ざわざわする。どきどきもするし、うきうきもする。
それら全部、抱えたまま、起きて動いて食べて、寝る。そのうち、そわそわやざわざわやどきどきやうきうきが薄まっていって、当たり前のようにそこで起きて動いて食べて、寝て、暮らすようになる。

人がいて、生活があり、日々が流れていく。
こどもも大人も、健やかな人も病める人も、どんな人も、それぞれの1日を生きている。
どんなにとるに足らない1日であっても、その1日を。
1日の終わりには生き延びたことを祝福したい。

どこに行っても、生活があるだけ。
引越しをし、その当たり前のことを目の当たりにし、でもそれは、当たり前のことなんかではない、と痛感させられる。
それは少なくとも、一人一人が懸命に生きている、ということだ。
そして、私たちもその1人だということ。

数年前も、子供はつぶやいていた。どうしたらともだちになれるのかなって。
ともだち、できるかなぁ。
できるよと約束ができない私は、できたらいいねと答える。いつだって、ありったけの願いを込めて。