New Rules, New Normal_03 松﨑友哉

ロックダウン三週間目。春が来た、桜も咲いた、ロンドンはこのところ柄にもなく天気が良い。春の陽気に包まれてしまったわたし達の現実はさらに捕らえ所のないものとなってきた。窓の外は黄色い光であふれている、人々の素行も第一週目にくらべて緊張感が薄れてきたことは否めない。そうした人々を尻目に4月12日、遂にコロナウィルスに関する死者が1万人を超え危機的状況にある欧州諸国と肩を並べた。緊迫した状況と春の訪れは相性が悪い。

4月12日、ボリスが退院した。(ジョンソン首相のこと。イギリスでは彼をただボリスとよぶ)彼の率いる保守党政権が掲げる緊縮財政、予算削減により近年 NHS(国営医療サービス)は危機的状況へと追い込まれ、散々な目にあわさ れてきたという経緯があるゆえ、党首本人の緊急入院に対して、メディア、国民は一斉に彼を白い目で見た。おまえの政策のおかげで医療現場は大変なことになっとるやないか、わかっとるんやろな、と。しかしそこはイギリス、巧みな話術で世界を長きに渡り牛耳ってきた国の首相、退院後のスピーチではうっすらと目に涙を浮かべ、医療に携わったスタッフの個人名、国籍を列挙し感謝を訴える姿はそこそこ見応えがあった、それくらい面の皮が厚くなければ首相などは務まらない。

ロンドン塔越しに見えるザ・シャード

3月下旬より、タワーブリッジ、ザ・シャード、ロンドン・アイ、ロイヤル・アルバート・ホール、ウェンブリー・スタジアムなどその他多くのイギリスを代表する建造物が、夜になると青い光でライトアップされている。フロントラインで働き続けている医療従事者へ敬意を表し、NHSブルーとよばれる国営医療サービスのシンボルカラーで街を照らしている。

著名人によるライブ配信、オンラインエキシビジョン、オンライン飲み会、遂にはオンラインアーティストインレジデンスまで始まったが、個人的に心を引いたのは‘Letters in Need’というサービスで、ブロガーである Shaun Usher氏によってささやかに開設されていた。わたしは偶然それを彼のサイトで見つけたのだが、一人暮らしの人や身寄りのない人宛てに手紙を送る、というシンプルなもので、ロックダウンの状況下で人と会えず心細く感じている人が、自身に宛てら れた手紙を受け取ることによって少しでも気を紛らわせることができたら、とUsher氏は言う。
カセットテープやレコードが未だに愛されるように、物質の持つ肌触り、風合い、が与える何か、によってのみ伝わる言語がある。いつも一人でパブの同じ席、同じ時間にいる常連のじいさん連中は家から出れずにどうしているだろうかと思う、他にも気を紛らわす術を持っていると良いのだが。

Charles E. Burchfield (1893-1967), “Glory of Spring (Radiant Spring)”, 1950; Watercolor on paper, 40 1/8 x 29 ¾ inches; Parrish Art Museum, N.Y. Gift of Mr. and Mrs. Alfred Corning Clark Collection

先日のガーディアン紙の記事に、‘ロックダウン中に公園に寝そべって日光浴をすることはモラルに反しているか否か’、という見出しでカール・マルクスを引き合いに論じられていた。結論から言ってしまうと、‘圧倒的な負担を負わされているごく少数の医療従事者とキーワーカーに対してフェアであろうとするためには、わたし達に与えられた最低限のルール、家にいること、を守り結束すること、それ以外にはない’、らしい。ずしんとした正論にこちらはぐうの音も出ない。日光浴をしてはいけないのである、しないけど。


記事では、‘最大多数の人間の幸せのためならば妨げとなるルールは破られてしかるべきだ’、という功利主義の観点から議論は展開していくのだが、簡単に言うと日光浴をしたいと思う‘わたし’一個人の欲求を叶えるためには、(その他大勢の人々も一斉に公園にでてしまって危険な状況を作ってしまわないために) 日光浴をせずに家で自粛する人達という犠牲が必ず必要となるため、この主張は公平性に欠いている、そのためモラルのある行動とは言い難い、と。

なるほど、とわたしは思い、そして、日光浴をして良いか悪いか云々は抜きにして、とにかく決められたことを守らない人達に対して怒りを持つ人々が一定数いて、それは‘righteous fury (道徳心による怒り)’という感情らしい。へぇ、そのような人もいるのだな、人間って難儀であるよな、などと思っていたところで、マルクスからの引用文ー‘わたし達の意思決定は、自身では選択のしようがない与えられた環境によって左右される’。すなわち、ロックダウンという状況下で受けるダメージやインパクトは個々人の性格、家族との関係、住んでいる家などによってそれぞれ違う。例えば庭付きの大きな家に住んでいる少数の家族と、小さなアパートに住んでいる大家族とでは、かかるストレスが違うから、個々の そうした生活環境、背景を知らずして、家にいられず外を徘徊している者のことを無差別に咎めることはできない、なぜなら彼、彼女らなりのベストを尽くしているかもしれないから。

妻は相変わらず布マスクをガンガン縫って出荷している。一点の妥協も許さず、細かいディテールに改善を加え、鋼のように断固とした意思を持って朝から晩まで淀みなくミシンをはしらせている。ここ二週間の間に布マスクを350個以上発送し、その利益を医療スタッフへ食事を届けてくれるレストランに寄付したらしい。今日も家の中ではミシンの音が小刻みよく鳴り響き、わたしは窓から差し込む暖かい春の光を顔面いっぱいに浴びながら外を見ている。イギリスでは残念ながらまだ感染者数の数は伸びており、ピークを迎えていない。


松﨑友哉
4.14.2020 / London