ロンドンのCafe OTO、山本景子さんインタビュー (前篇)

"At the Cutting Edge : Experimental Sounds from Asia " at Cafe OTO, London. (November 2019) photo: Maurizio Martorana

2008年、ロンドンの北東部Dalstonに、新たな音楽ヴェニューとしてオープンしたCafe OTO(カフェ・ オト)。今では世界中のミュージシャンに、もっとも演奏したいライブ・ハウスの一つとして数えられている。日中は食事も提供するカフェとしてオープンし、夜は音楽イヴェントが催される。Cafe OTO には演奏用のステージが設けられておらず、演者は常に観客と同じ高さで演奏をする。ミュージシャンを囲みながら、すべての人が地続きにいるその空間を、外から窓ガラス越しに眺めると、それは音楽のライブ風景というよりも、現代アートのパフォーマンスを体感している人々の光景に近い。特に広いというわけではないその空間で、過去には Sun Ra Orchestra、The Art Ensemble of Chicago、Yoko Ono、Okkyung Lee & Christian Marclay、大友良英、など、そうそうたる面々を含む多くのアーティストがパフォーマンスを行なってきた。

パートナーのヘイミッシュさんとともにCafe OTOを立ち上げた山本景子さんは、ご自身も中島吏英さんとのデュオ・ユニットである O YAMA O(オー・ヤマ・オー)の一員として、近年は多数の国際的なイベントに参加している。Cafe OTOという場の提供、また自身もアーティストとして様々なイベントに参加する立場として、コロナ禍の現状をどのように捉えているのか、ライブ・チャットで近況を伺ってみた。

インタビュー:松﨑友哉

1.ロックダウン前

山本さん(以下Y):「本当はもっと早く閉めたかったんですけど、閉めれなかった。スタッフさんみんなの給料、関わっている人全員の生活費をどうやって払うのかっていうことがあって、わたし達の生活もあるし。生きる術がなくなるということだから。」

イギリス政府がロックダウンを正式に発表をしたのが3月23日。しかし実際には、3月の第2週目あたりから混雑した空間を避けるようにと政府は呼びかけだした。23日のロックダウン発表へ向けて、人々の意識は驚くほど急激に変化していった。

Y:「人が来てなんぼのところですからね、わたし達のような社交場は。当初は政府からの休業サポートの発表がないまま、社交場に行くなってみんなに呼びかけだしたから、パブに行くな、レストランに行くな、人が集まるところに行くなって。そう政府は言ってたけど、運営側であるわたし達には閉めろとは言わなかったんです、そのときは。だから政府からのサポートがあるかないかも分からない状態で、ロックダウンみたいな状況になってしまったから、わたし達はパニックになったんです、これからどうすればいいかって。

そのロックダウンの一週間ぐらい前は、発想の転換で、お客さんをいれられなかったら発信するしかない、無観客ライブストリーミングをやるしかない、ということになって、17日ぐらいから無観客でライブストリーミングの配信を始めたんです。そして始めてみたんですけど、でもそれも止めようということになったのはロックダウンの発表の前の多分21日ぐらい。スタッフさんの命に関わるから、ということで自粛したんです。スタッフさんでもカメラマンなどいれたら4、5人いたので、彼らだけでもあぶないと思って。そういうこと諸々の狭間でもがいてた感じです。」

松﨑(以下M):「オーナーとしてはやはりかなり勇気のいった決断であったということは想像できます。」

Y:「そうですね、そのグレーな期間の一週間。普段Cafe OTO をやっていてもトントンくらいですけど、やっぱり生と死のこととか考えましたね、スタッフさんも家族がいますし、コロナ以前も案外みんなきつきつですから。」

M:「確かに。結局ロックダウンと同時に政府が休業手当の発表をしたから、なんとか人々の足並みが揃っ たという印象はありますね。もしその発表がなかったら、たくさんの人はお店を閉めたり自宅で待機したり 実際にはできなかったかもしれません。」

Y:「それとあともう一つのプレッシャーは、Cafe OTOはツアーしてくるアーティストがいっぱいいるので、それでその、キャンセルをしなくてはいけなくて、まあそれは世界的に同時に起こったことだから仕方のないことですけど、チケットを買ってくれていたお客さんには、チケットを持っていてもらって、再開した時に使えるようなクレジット制に変更したり、あとは、お金に困っていない人にはそのままドネーションにしていただいたりなど、そういうことも考えなくてはいけなくて。

でも、もう偶然、コロナの前から新しいイクイップメント(機材)のための助成金をアーツ・カウンシルからもらっていたり、アーティストから寄付してもらったモノをオークションにかけて、その売り上げをCafe OTOにドネーションしてもらうっていうシステムを、そのイクイップメントのためにもうすでに作っていて、結局緊急事態ということで、そこで集めたお金がサバイバル資金になって、それでわたしたちは助かったという感じです。Cafe OTOは倒産かとも思ったりしましたが、偶然そのシステムがあったことと、その資金のおかげでいまは一応数ヶ月は大丈夫です。わたし達はラッキーだったと思います。」

Borealis Festival, Bergen, Norway. (March 2016) photo: Borealis Festival

2.コミュニティ・センターのような

M:「はなしをもう少し過去にもどして、そもそもどういった経緯でCafe OTO が始まっていったか、当時の心境や動機をおしえてください。」

Y:「わたしのCafe OTO立ち上げの初期衝動は、もともとSlade(スレード・スクール・オブ・ファイン・ アート)にいたときにコミュニティ・カフェで働いていて。」

M:「Bonnington Cafe(ボニントン・カフェ)(注1)のことですね。」

Y:「そうです。そこでやっていた、料理をするところに友達を呼んで、ミュージシャンを呼んで、っていうイベントがわたしの核にあって。だからもともとそこまで今のCafe OTOみたいに、エクスメンタル・ミュージックのどうのこうのって今は言われてますけど、もともとわたしは本当にみんなが集まる場みたいなことを、こぢんまりとしてても、居酒屋じゃないですけど、なんかそういうのでよかった(笑)。いやそういう感じで始まったんですよね。」

M:「そのイベントへ何度かお邪魔したことがありますが、当時の山本さんは器量のいい女将さんのように、 その場を小気味良く回していたのが印象的でよく憶えています。」

Y:「そうしてやり始めたんですけど、でもスペースを持ったらやっぱり現実的に家賃を払わないと、とか 色々とでてきて、コンスタントにギグをいれないと回らないということになって、だから最初は大変でしたね。友達に手伝ってもらったり、スタッフさんを雇ったり、2年目ぐらいですかね、初めてお店に一日中いなくても良くなったのが。毎日そこに半分住んでいた感じでした。自分の時間が本当になかったですね。それは楽しかったというか、でももともとヘイミッシュもわたしもビジネスマンじゃないので、だから手探りで試行錯誤しながら学んでいったという感じですね、今でもよくわかってないですけど(笑)。」

M:「しかしCafe OTOはオープンしてから軌道に乗るまでがものすごく早かったという印象ですが、実際はどうだったのでしょうか?」

Y:「Spitalfieldsにあったスピッツとか、その辺のヴェニューがばたばた閉店していってたんですよね、わたし達がCafe OTOを開けた時に。だから結構インプロ系とか実験音楽をやっていた人達の演奏する場がなくなってきてたから、色んなミュージシャンが当時はCafe OTO に集中してきたっていうのもあると思います。オリンピック前ということもあったし。」

M:「Dalstonに新しいロンドン・オーバーグラウンド(鉄道)が開通する少し前っていうこともありましたよね。」

Y:「過去を振り返るとあっという間ですね。でもみんなに助けられたという感じはありますね。ボランティアの人達が結構来てくれて、夜のイベントを手伝ってくれたりとか、ボランティアに来てくれた人がその後スタッフさんになってくれたりとか。そういう意味では今でも、コミュニティ・センターみたいな感じではありますね。」

London Contemporary Music Festival, London. (December 2019) photo: Dawid Laskowski

『大友良英のJAMJAM日記』(注2)というブログの2009年3月15日付けの記事に、当時のCafe OTO について大友良英さんがとても熱く語っている。

‘それはさておき、書きたいのはcafe OTOのこと。ここでの数日間は本当に楽しかったし、どのコンサートも本当に素晴らしかったけど、単に僕等の演奏がよかったって話ではなく、もうじきオープン1年を迎えるこのカフェの存在がロンドンのアンダーグラウンドな音楽シーンを静かに変えつつある、というのをひしひしと感じて、それが本当に面白かったのだ。

(中略)なんというか、素朴な言い方だけど、みんなの居場所が出来た感じ・・・ってのが一番あたってるかな。実際、オレらのライブが終わったあとにも、他での仕事を終えたミュージシャンたちがcafe OTOに集まって来てわいわいやってるし、(中略)なんだかとっても嬉しかった。みんな、ここを自分の居場所だと思ってるんだ。なにより、数日間いただけの僕等だって、ここを自分たちの居場所って思えたんだもの。これって、cafe OTOの持つ吸引力がどれだけすごいかってことだ。’

(後篇へつづく。)


(注1)
ボニントン・カフェ(Bonnington Cafe): 1980年代初頭より続いているヴィーガン・ベジタリアン・レ ストラン。当初はスクワット・カフェとしてオープン。共同運営のため、日によってシェフが代わり、メニ ューもがらりと変わる。
http://bonningtoncafe.co.uk/

(注2)
「大友良英 JAMJAM 日記」 https://otomojamjam.hatenadiary.org/entries/2009/03/15

Cafe OTO: https://www.cafeoto.co.uk/