世界のアートの中心で目まぐるしい変化を生み続けるニューヨーク。なかでもアーティストに寄り添い、革新的な活動を続けるギャラリーのひとつがLuhring Augustine(ルーリン・オーガスティン)です。長年に渡ってアートのメインストリームに関わり続けるギャラリー・ディレクターならではのエッセイ「アート・シャトル」は疾駆第11号から連載スタートしましたが、最新の情報をもとに、各地のアート・マーケットの姿、ニューヨークのギャラリーの今の様子を伝えます。
著者 村尾順平
1979年生まれ。ニューヨーク市立大学大学院にて美術研究の修士課程を修了後、ニューヨークのアートギャラリー、Luhring Augustine に入社。現在、同社の管理運営部部長。
2019年12月、現地のアーティストとの仕事のため滞在中のデュッセルドルフ。仕事が遅く終わった日は、星降る寒空の下でメルヘンの世界観そのままに繰り広げられるクリスマスマーケットのホットワインに仕事の疲れを癒してもらうことが多かった。かつてナポレオンが「プティ・パリ」と呼び個人的にも非常に思い入れのあるこの魅力ある街が、僅か数週間後にゴーストタウンと化してしまうことなどこの時は思いも寄らなかった。
年が明けて1月のサンフランシスコ。ここでアートフェアの仕事をしている最中、他ギャラリーのアートディーラーやクライアント達の間で毎日話題になるトピックがあった。3月中旬に開催予定の大規模なアートフェア Art Basel Hong Kong である。
Art Basel はスイスのバーゼル市で始まった世界最大のアートフェアであり、毎年6月にスイスのバーゼル、12月にアメリカのマイアミビーチで開かれ、香港の湾仔では3月に開催される。その香港開催を危ぶむ声が去年夏から継続的に出ていたのである。
そもそも危惧の発端は2019年6月から大規模化した逃亡犯条例改正案に対する反対運動に起因していたのだが、フェア側もディーラー達も数ヶ月に渡って状況を注視し続けた上で、12月頃には「3月の香港は予定通り開催」する方向で調整に入っていた。しかし1月中旬のサンフランシスコでディーラー達は香港行きを渋り出したのである。
サンフランシスコから自宅のあるニューヨークに戻った1月23日、地球の反対側では武漢市の完全封鎖が始まっていた。このニュースはニューヨークでも大々的に報じられアート界も一気に騒ぎ始めた。ただこの時点で少なくともニューヨークのアート関係者に身の危険を察して騒いでいた人は希少だったであろう。この頃のアメリカやヨーロッパにとって新型コロナウィルスは対岸の火事。3月の香港はどうなるのか、Art Basel はキャンセルを決定しないのか、その点について騒いでいたのである。一難去ってまた一難。Art Basel は3月の香港開催において再び窮地に立たされていた。
1月28日。Art Basel の代表者から直々にメールが届いた。やはり3月の香港はキャンセルかと思われたがメールの内容にそのことは明記されておらず、香港での状況を注視している旨などが書かれてあった。香港では美術館や遊園地など全てのエンターテインメントや大規模施設が行政側の指示で次々に閉鎖される中、フェア側はまだ開催の望みを捨てていなかったのだ。
2020年はArt Basel がスイスで誕生してちょうど50年目の記念すべき年であり、50周年を大成功に収めるべく各チームは相当の時間と労力をかけて準備して来たのだろう。それを考えると最後の最後まで諦めたくない気持ちだけは理解できなくはないが、その時はまさに武漢で感染が爆発した新型のウイルスが人の流れに乗って香港を含むアジア圏に拡散している最中なのだ。逃亡犯条例改正案に対する反対運動より遥かに危険な状況であるのは誰の目にも明白である。
アートディーラー達からすれば、ウィルスが蔓延する地に行きたくはないが自らフェア参加をキャンセルして膨大なキャンセル料は支払いたくない。つまりフェア側にキャンセルをしてもらいたい。その通知を我慢強く待っていたのが1月下旬であった。
1月30日には WHOが非常事態宣言を発表。この時点でウィルスは武漢から世界18ヶ国に流れ出し、公的機関に確認されているだけで感染者は1万人を超えていた。この状況でまだフェアのキャンセルが発表されないのには、恐らくフェアの経営会社、スイスのMCH社の経営状態が関係していたと私は推測している。Art Basel の他にも世界的な大イベントを開催する MCH社は近年財政難に陥っていると何度か報道されていた。Art Basel の代表者は恐らく MCH社からも相当のプレッシャーを受けていたのではないだろうか。
2月に入るとアメリカでもこの新型ウィルスに対する警戒が強まり、14日以内に武漢のみならず中国に入った人間に対して入国拒否を始めた。もうこの時点でこのまま返答を伸ばすには無理があった。2月6日、Art Basel 代表者から世界のアートディーラーへ「断腸の思いでフェアをキャンセルすることを決定した」とのメッセージが送信された。
Art Basel Hong Kong ほどの超大規模なアートフェアの中止決定。この頃、アメリカやヨーロッパで「大きいセールスの機会をひとつ逃した」程度に思っていたギャラリー関係者達は、このキャンセルが今後アート業界の経済基盤を著しく揺るがすことになる負の連鎖のスタートだとは予測しておらず、またその状況が自分自身に直接関係してくることを想定して準備を始める者もいなかった。
かく言う私も恥ずかしながらこの状況がアメリカにおいても待った無しの超緊急事態であると言う認識が持てないまま、次の出張先であるテキサス州ダラスに行くためジョン・F・ケネディ空港へ向かった。その瞬間も香港のフェアを中止に追いやった新型ウィルスは猛スピードで広がり続けヨーロッパを襲い始めていた。この後わずか20日程でヨーロッパの主要都市が次々に陥落して行くのだが、冒頭で述べた「プティ・パリ」もこのウィルスに猛威を振るわれ経済が麻痺するまでの秒読み段階に入っていたのである。
2月中旬のテキサス。武漢封鎖から2週間が経過していたがダラス空港はいつも通りに混み合い、滞在先のホテルへ向かうハイウェイも車で混雑していた。ホテルにおいてもチェックインカウンターに除菌ジェルがあるわけでもなく、フロントクラークがマスクをしているわけでもなく、「ウィルスが来る」と言ったような危機感は微塵も感じられなかった。
ダラス美術館での仕事中もキュレーターの方など多くの方々と仕事の傍様々な話をしたが、ウィルスのことは殆ど話題に挙がらなかった。美術館にアートフェアの仕事はない為、 Art Basel Hong Kong 中止の騒ぎもここでは大したニュースではなかったのだろう。 美術館のキュレーターですらウィルスのニュースを追っていなかったのだ。
ダラス滞在中に嫌なニュースが入って来た。新型コロナウィルスに感染していた中国湖北省からの観光客が1月23日にミラノを訪れたのを皮切りにイタリア北部で感染者が急増。ロンバルディア州やヴェネト州の都市が次々に封鎖され戒厳令が敷かれていると言うのだ。
確かにイタリア州北部では日々非常に大規模な中国人観光客のグループを多数見かける。ニューヨークでも様々な国からのグループ観光客を見ない日はないが、取り分けヨーロッパで見る中国からの観光客グループは規模が大きい。
ビエンナーレの仕事の為しばしば訪れるヴェネツィアのサン・ザッカリアには毎朝早くから大型船が何隻も接岸され、軍隊が島へ上陸作戦を遂行するかの如く中国からの観光客が引率者の旗に続いて下船する。住民人口27万人のヴェネツィア市に1日平均8万人の観光客が訪れる。乗合船がメインの交通手段であり、網の目のように張り巡らされた狭い路地を人々が行き交う4人に1人が観光客のこの街では、新型ウィルスが持ち込まれたが最後、密集する人々の間で爆発的に広がり、更にそれを観光客がそれぞれの国や地域に持ち帰ると言う状況は想像に難くない。
フランスでも感染爆発が相次いだ。アートフェアのため度々訪れるパリに思いを巡らせる中真っ先に頭に浮かんだのがルーブル美術館のデノン・ウィングである。この回廊の一室にあるのがルーブルが誇る常設作品の中でも特に有名な作品、レオナルド・ダ・ヴィンチによるモナ・リザ。
どういう理由かこのモナ・リザの展示の仕方がこの作品を観に訪れる人の数に見合っていない。額に収まった作品は反射のしない特殊なプレキシグラスで覆われ、来館者は作品のかかった壁から10メートル程離れた地点までしか近寄れないようになっている。それはいいのだが、見る人々に対して秩序が全く与えられていない。空港のセキュリティチェックにあるような行列整理のパーティションもなければ、他の美術館で見るような入室人数と閲覧時間における制限もない。人波のうねりがモナ・リザ一点めがけて怒涛のように打ち寄せている。警備員はいつも離れた地点に置かれた椅子に腰掛けてこの異様な風景をただ眺めているだけだ。
あの密閉された空間であれだけの人口が密集し押し合い圧し合いの激闘を繰り返す。まさに「3密」の最悪の例である。しかも去年10月末から今年の2月末までの4ヶ月間開催されたレオナルド・ダ・ヴィンチ展には、ルーブル美術館史上最高記録となる100万人を超える来館者があった。あのモナ・リザの部屋の異常な「3密」がより大規模に行われたことで、2月のルーブルは新型コロナウィルの大震源地と化したに違いない。
ひょっとするともうデュッセルドルフも危ないのではないかー
3月6日金曜日。ニューヨークにてウィルスのニュースを聞いてそう思った。パリとデュッセルドルフは意外と近く、タリス鉄道の国際高速線に乗ればベルギーのブリュッセル経由で3時間半ほどで着く。フライトならたったの55分である。
ライン川に沿って広がる優雅で落ち着いた都市計画が、ナポレオンに「プティ・パリ」と言わせたのであろう。ゲルハルト・リヒター、シグマ・ポルカ、ラインハルト・ムハなど多くの現代アーティストの巨匠を輩出した芸術アカデミーがあり、金融業界やファッション業界の国際カンファレンスやイベントも数多く開催される、ドイツ内でも最も裕福な都市のひとつである。大観光都市ではないがその点を省けばデュッセルドルフは「経済と芸術の都市」という状況がまさに今も「プティ・パリ」だと言える。故に非常に多くのビジネスパーソンやアート関係者がパリとデュッセルドルフを行き来しているはずで、パリで感染が爆発したウィルスはもう既にデュッセルドルフにも広がっているに違いなかった。
すぐデュッセルドルフの知人に連絡を取ったが、やはり既に在宅勤務の処置が取られ、スーパーやドラッグストアなどからは既に除菌剤やトイレットペーパーなどが完全に消えているとのことだった。イタリアのような都市封鎖や戒厳令こそないが飲食店も次々に自粛し始めた為に街から人々が消え物寂しい風景に変わってしまったのだそうだ。
この日、弊ギャラリーが進めている、マンハッタンに新たに展開するギャラリースペースのプロジェクトがある現場での会議に出た。この現場で毎週金曜日に社長、建築家と一緒に視察、会議をすることになっている。現場に着き、建築家や関係者と現場を視察していると入り口の方に弊ギャラリーの共同経営者の一人であるR社長がある知り合いを連れて到着したのが見えた。その紳士はアイスランドのレイキャヴィックでギャラリーを経営するアートディーラーで、フェアなどで何度か会ったことがある。
彼は社長と入り口付近で少し話をした後、30メートルほど奥にいる私に向かって大きく手を振り現場を出て行った。
その彼とR社長は土曜日にメトロポリタン美術館でのイベントに出席、日曜日にはR社長のホームパーティにも出ていた。週明けにアイスランドへ帰ったのだが、実はこの直後から弊ギャラリーは一気に新型コロナウィルスの恐怖に陥れられることとなった。
3月9日月曜日。徐々にニューヨークでも危機感を煽る報道が増え始めたことを踏まえて、行政側からの通達はないが弊社は殆どのスタッフの在宅勤務を開始した。その流れで、13日金曜日に予定されている弊ギャラリーのチェルシー本社での新しいエキシビションのオープニングレセプションとディナーは中止した方が良いのでは、と言う声も社内で出始めた。最大の理由はイベントの主役である作家の年齢が65歳であること、そしてそのディナーには多くのクライアントが出席予定で、しかも2週間のヨーロッパ出張からその日帰国するもう一人のL社長も出席予定であったことだ。
しかし担当者は、今回のエキシビションがこの作家にとって弊ギャラリーでのデビュー展であり、盛大に成功させるべきとの理由からレセプションとディナーの開催に固執した。参加予定のL社長がこの2週間でパリ、マドリッド、バルセロナなど既に大規模感染が報じられている都市に滞在したことを理由に中止を推す声が強まる中、担当者は作家と彼のエキシビションの成功を思うあまりになんとか開催したいと言い続けた。
しかしこの時、ヨーロッパで刻一刻と広まる壊滅状態が広く報道され、アメリカ東海岸の人々にも恐怖感が猛スピードで広まっていた。そしてここに来て「新型コロナウィルスなどは毎年のインフルエンザと変わらない」と発言していたトランプ大統領も、急遽手の平を返すように「この金曜日を最後にヨーロッパからの入国は拒否しなければならない」と発表。これを受けて金曜日のレセプション、そしてディナーに招待されていたクライアント達は一斉に出席をキャンセルし始めた。
これでも担当者はまだキャンセルしたくないと言う。自身が1年ほどかけて計画して来たエキシビションとそれに懸けた情熱、セールスを成功させる自信。そして新しい作品をこのエキシビションの為に作り上げた作家を思いやる気持ち。彼女にとってはそう言った要素がこれほどの危惧すべき状況よりも重要だったのだろうか。
結局は作家、両社長が開催日前日の木曜日深夜、全てをキャンセルすることで合意したことを受けて弊ギャラリーはチェルシー界隈に乱立する他社のギャラリーに先立って長期閉鎖することを決定した。そしてブルックリンのブッシュウィックにある支店も閉鎖し、3月14日より社員全員が完全に在宅勤務となった。
この金曜日当日、トランプ大統領の決断で各空港がヨーロッパからの入国拒否を開始する直前、滑り込みでヨーロッパから帰国したL社長は念の為にそのままニューヨーク州イーストハンプトンの別荘へ直行。そこで2週間の自主隔離に入った。
3月14日土曜日夜、アイスランドから来た人たちと週末を過ごしていた為に大事をとって急遽マサチューセッツ州ナンタケット島へ飛び、自主隔離を始めていたR社長から連絡。
彼の嫌な予感は的中する。
レイキャヴィックから来ていたあの紳士から連絡があり、アイスランド帰国後に行った検査で「陽性と出た」のだそうだ。
その為自分もテストを受けに向かっているとのことだっだが、「これはもう、かなり陽性の確率が高いのでは」と思った。あのアイスランドの方とは、土曜日も日曜日もイベントやパーティで一緒にいたのだから濃厚接触どころの話ではない。R社長の年齢は70歳。しかも3年前に心臓の手術をしている。「陽性だった際にはー」 最悪の事態も脳裏をよぎった。
この1週間で、たったの7日間で、私の周囲、そしてニューヨークは激変してしまった。わずか1週間前にはメトロポリタン美術館でイベントが開催され、誰も「ソーシャル・ディスタンス」など聞いたことも言ったこともなく、L社長はヨーロッパを出張中で、R社長はヨーロッパから来ている人々と自宅でパーティをしていたのだ。
そのたった7日後、社のイベントは全て中止となり、社長は2人とも別荘で自主隔離を行い、社員は全員在宅勤務となり、トランプ大統領はヨーロッパからの入国を禁止している。
異常な速度で感染を広めるこのウィルスは社会に影響を及ぼす速度も異常に速い。 1月21日にアメリカ西海岸で、もしくは1月25日にヨーロッパで初の感染者が出た時点で、先述したようにニューヨークは既に「待った無しの緊急事態」に直面していたのだろう。西海岸と東海岸の都市を結ぶフライトも、ニューヨークとヨーロッパ各都市を結ぶフライトも毎日満席なのだから。
3月16日月曜日。現代アートの中心地、ニューヨークのチェルシーは一気にゴーストタウン化し始めた。各ギャラリーが次々に閉鎖を決定し、アートビジネスにおける全ての「物理的な」流れが止まり始めた。ギャラリーも美術館も閉鎖され始め、相次ぐ国境封鎖でアート作品を始めとする様々な物流も止まり始めたのである。
「物理的な」と述べたのは、エキシビションやフェアが行えない分、各アートシーンはすぐにビジネスの場をヴァーチャルへ移行する準備を始めた為である。中止になった Art Basel Hong Kong もフェアのサイト上に各ギャラリーが参加できるインターネット上のブースを作成し、物理的ではないがヴァーチャルにフェアを開催できている。弊ギャラリーも自社サイトに新たなページを設け、作家自身が作品を紹介しながら話す動画を織り交ぜるなど、ヴァーチャルなエキシビションでセールスを開始した。5月、6月とアメリカやヨーロッパで開催予定だった大規模なアートフェアも、軒並みヴァーチャルへの移行や数ヶ月単位での延期を余儀無くされている。
3月18日水曜日。ニューヨーク州のクオモ知事が連邦政府経由ではなく知事の職権により州全体にポーズ・オーダーを発令することを決定。文字通り、州全体を「一時停止」、Pause させる為である。これにより食料品店や銀行など州民の生活に必要不可欠とされる業種以外の分野では殆どのビジネスが一時的に閉鎖されることとなった。レストランやバーなどの飲食店はデリバリーやテイクアウトのみ営業が許され、違反すると罰金が課せられ行政側からビジネスのライセンスを剥奪されかねない。「要請」と「オーダー(命令)」の大きな違いがここにある。
そしてこの状況からして想像に難くないように、経済が麻痺してしまいどの業種でも失業者が急増しており、アート界でも業界全体の経済が大きなダメージを受け始めている。アート作品の修復、額縁の製作、作品の運送、そしてエキシビションの設営などを専門職とするアートハンドラーなど、需要に応じて仕事が発生する職種も多い。これらを専門職にしている人々は1日にして「長期間仕事がゼロ」と言う状況に追い込まれてしまった。
2019年の世界全体におけるアート市場の評価額は日本円にして約7兆2千億円であり、実にその市場の半分以上がアメリカにあると計算されている。そしてニューヨークは他の都市とはかけ離れた規模を持つ現代アート市場の大中心地であると同時に、今回の新型コロナウィルにおいてアメリカ国内で最も多い感染者と犠牲者を出している震源地、エピセンターでもある。故にアート業界における失業者数は世界でニューヨークが最も多く、また、アート業界の経済損失においてもニューヨークが世界で最も多いと言える状況は、世界全体におけるアート市場の心臓部の経済が壊滅状態であると言うことを意味している。
本日、4月20日月曜日。この記事を書いているのが、ニューヨーク州がポーズ・オーダーに入って4週目、まだ30日しか経っていない。もう何ヶ月も在宅勤務をしているような感覚である。
そしてこの4週間、非常に辛い時間が続いている。グッゲンハイム美術館が何十人解雇した、ホイットニー美術館は何十人、あのギャラリーはどれだけ解雇したなどのニュースが多すぎる中、アート界の外ではニューヨーク州だけで死者数が毎日600人、700人と増え続けるニュースが続いた。アート業界だけがこの状況を脱して市場を再開させることはあり得ないので、理論的にはワクチンができると予想される1年後までは、規模は変われど今行われているようなポーズ・オーダーを続けながら先に述べたヴァーチャルな場の活用も含め新たなビジネスの方法を模索していくことになるのではないだろうか。ニューヨーク州での現時点での感染者数は24万2千人を超え、犠牲者は1万3千人を超えている。
先週、ニューヨーク州のクオモ知事は「最悪の状況は脱した」としてピークは超えたとの見解を示したが、「気を緩めればまた1日で最悪の状況に戻る」としポーズ・オーダーは少なくとも来月15日まで延長された。ニューヨークにもウィルスが爆発感染し易い環境が整っており、「1日で最悪の状況に戻る」と言う知事の見解は非常に正しい。
東京23区ほどの面積の中に国際空港が3つもあり、地下鉄やタクシーの車内は日本では考えられないほど汚れている。その上ニューヨーク市の人口密度は異常に高く、1スクエア・マイル(約2.6平方km)あたり2万7千人。これは西海岸で1番の大都市であるロサンゼルスの3倍である。更にニューヨークには至る所に忙しいニューヨーカーが手でさっと食べられるものが溢れている。ピザ、ハンバーガー、サンドウィッチ、タコス、ホットドッグ、ファラフェル、チキンウィング。そして狭いアパートが多いからかも知れないが、ニューヨーカーの多くはベッドルームまで土足で入るのである。
因みに公共の場でマスクを着用することを極端に嫌がるアメリカ人だが、ニューヨーク州のポーズ・オーダーでは外出中のマスク着用が強く推奨されており、今では誰もがマスクを着けている。そしてバスや地下鉄などの利用時、また食料品店などを利用の際にはマスク着用が義務付けられている。アメリカでもヨーロッパでも人々がマスクを嫌う理由は外見から来ているそうで、周りの誰に聞いても欧米人の感覚では「目だけを出して鼻と口を隠す」のは「悪のイメージ」に直結するらしい。
人口800万人のニューヨーク市で今日現在報告されている感染者数は13万4千人強。計算上ニューヨーク市内で感染者になる率は100人に1.7人となる。少なく聞こえるかも知れないが、犠牲者の数は1万人強であり、全米の犠牲者数が3万7千人であるから、州ではなくひとつの市で全米の犠牲者数の3割近くを占めていると言うこの数字は大きい。
経済的な数字では、昨日IMFが発表した2020年の世界経済の成長率予想を見ると-3.0%となっており、国別ではアメリカが-5.9%、日本は-5.2% となっている。これはリーマン・ショック後の 2009年の経済成長率-0.1% の比ではない。
しかし、恐怖の中で目まぐるしく情報が変わるこの特殊な状況下でこそ冷静さを保つことは極めて重要だと考える。自分が感染したら、家族が感染したら、世界大恐慌になったらと、そんなとりとめのない恐怖の中で人々は無意識にパニックになりかけている。その為情報を見極める能力を失い、そのことに気づかないまま間違った情報に踊らされてしまう人も少なくない。
3週間ほど前、ニューヨーク市に住む日本人女性がユーチューブに動画を挙げ、それが日本で大きく取り上げられているとのニュースを見た。その女性はひどく焦った様子で「2週間後に日本も確実にニューヨークのようになる」と言う危機感から日本に向けたメッセージを送りたいと語っていた。動画を見たのだが殆どの情報に間違いがあり、仮設病床が遺体安置所に間違えられていたり、テキサス州で起きた一件のアジア人に対する暴力事件がニューヨークで日々起きている事件として伝えられていたり、治安が乱れて無秩序のサバイバルが起きている状態であるかのように伝えられていたりと、誤報と誇張が入り混じり情報の正確さは殆どなく、ただ恐怖を煽るだけになりかねないものだった。
彼女は彼女なりのリアリティを日本の為に伝えたかったのだと思うが、危機感と恐怖感に自身の情報を見極める能力が負けてしまい、無意識にパニックになってしまっていたのかもしれない。
経済が麻痺し、700万人もの人々が職を失って路頭に迷い、WHOの言うことも専門家の言うことも大きく外れ、何も期待できるものはない状態の中、非常に多くの人が冷静さを失いかけている。インターネット販売のアマゾンでマスクや消毒液が売り切れているのは理解できるのだが、アメリカでは野球のバットも売り切れてしまった。多くの人がパニックになり、暴力と無秩序の状態が訪れることを危惧してオーダーが殺到したのである。
ビジネスも人の流れも商売至上でグローバル化してボーダレスを進めていたからこそ一瞬でウィルスを広げてしまったのだとしたら、この局面は人類が受けるべくして受けたカルマなのかも知れない。だがもしこの世界規模の惨事に良い面がひとつでもあるとしたら、地球に束の間の休息を与えていることではないだろうか。ヴェネチアの友人から送られて来た写真には、マルコ・ポーロの時代にもそうだったに違いない底が見える水路、人混みのない狭く美しい街路があり、パリの友人からもらった画像にはエッフェル塔が放つビーコンの上にオリオン座などの星がびっしりと見えている。鯔のつまり、人間こそが最も厄介なウィルスだと言うことなのだろうか。
因みに、陽性反応の出たアイスランドの友人と濃厚接触をしたR社長は、テストを受けた結果陰性だった。だがヨーロッパ出張から戻ったL社長は感染しており、2週間ほど発熱に苦しめられたが今は完全に回復している。
やはりあのレセプションとディナーをキャンセルしたのは正しかった。作家やスタッフ、クライアントを巻き込んだ「最後の晩餐」となりかねなかったのである。
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