「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」
会場:国立新美術館
会期:2019年8月28日ー11月11日
丘の上の教会から「銀の道」がまっすぐのびる小さな町のただなかで
彼女たちは見あげている
赤い丸屋根の建物の石壁には梯子がかけられ
いままさに、オリンピックのエンブレムが刻まれようとしているのだった
五つの輪とOLYMPIAの文字の間に添えられた年号は1936年
ここはチェコスロバキア、旧ボヘミア地方、聖ヨアヒムの谷である
彼女たちは待っていた
オリンピックを
聖火がこの町へやってきてくれるのを
炎が、光が、あたりを明るく照らしてくれるのを
この細い道が「銀の道」と呼ばれるのには理由がある
16世紀、聖ヨアヒムの谷の地底からは、銀が出た
一攫千金をあてようと、ドイツ、ザクセン地方から
5000人ばかりの男たちがやってきて、地面を掘った
銀は次々銀貨に鋳造されて、ボヘミアじゅうへ広がった
その名は、ヨアヒムスターラー、略称ターラー
後に新世界アメリカへまで渡り、ダラー、ドルの語源になった
炎を手にしたものたちが、闇の中へと降りてゆく
地底を掘り進んでゆく
ところが、やがて掘っても掘っても銀が出なくなる
かわりに出るのは、黒光りする石ばかり
そのうえ坑夫の男たちの間に、原因不明の奇病が蔓延する
身体がだるい、血が止まらない
男たちは黒光りするその石を、ドイツ語でピッチブレンド(ピッチは黒い/不幸の、ブレンドは鉱石)、
「不幸の石」と呼んで忌み嫌った
18世紀、「不幸の石」の中からは、新しい元素が発見された
その名は、天王星ウラヌスにちなんで、ウラン
ウランはガラスに混ぜると、紫外線の光で蛍光グリーンに輝いた
ウランガラスはヨーロッパじゅうへ広がった
貴族たちにもてはやされ、ワイングラス、花瓶、ネックレス、眼球洗浄器までつくられた
ギリシア神話、天空の神ウラヌス
大地の女神ガイアが、だれとも交わることなく身ごもり
生んだ子ども
ガイアは自らの子ウラヌスと交わる
ふたりが交わるたびにこの世界には夜が訪れる
彼女たちが壁に刻まれたオリンピックのエンブレムを見あげていたころ
ギリシア、オリンピアの神殿跡には、
白い衣装を纏った11人の処女が集められていた
儀式では、その女たちが鏡で太陽の光を集めることになる
7月20日、いままさに、世界ではじめての聖火リレーが
はじまろうとしていた
炎が甦り、聖火リレーのトーチに灯される
ギリシア神話の神、プロメテウスが盗み出し、人間に与えた太陽の火
ギリシア、オリンピアの地から、遥かドイツ、ベルリン—アドルフ・ヒトラー率いる
ナチ・ドイツのベルリンのオリンピック開会式スタジアムへ
日数は12日間。ランナーの数は3308人
炎は男たちの手から手へと渡され、運ばれてゆく
彼女たちは待っていた
聖火がこの町へやってきてくれるのを
炎が、光が、あたりを明るく照らしてくれるのを
7月31日午前1時、聖火はプラハへやってくる
それから、4時30分ストラシュコフ、6時15分テレジン、9時にテプリツェを通過する
けれど、聖火はここへは届かない
ベルリンオリンピックから2年後
聖火リレーのルートを遡るようにして、
ナチ・ドイツの軍隊が侵攻していた
トーチとおなじクルップ社製の戦車に乗って、
炎で人間を焼き払いながら
聖火がやってこなかったこの町へも、
ナチ・ドイツの軍隊はやってきた
炎を手にしたものたちが、闇の中へと降りてゆく
地底を掘り進んでゆく
坑夫たちのかわりに、この町へ連れてこられた
戦争捕虜の男たちが「不幸の石」を掘る
震災からの復興を遂げ、真新しいビルが立ち並ぶ
大きな街のただなかで
彼女たちは見あげている
いままさに、日の丸の国旗とオリンピックエンブレム旗が見わたすかぎりに掲げられ、
いっせいにたなびいているのだった
金色で富士山と五つの輪があしらわれたポスターのTOKYOの
文字の横に添えられた年号は1940年
神武天皇の即位から2600年、紀元二千六百年祭の年
ここは、大日本帝国、帝都東京である
彼女たちは待っていた
オリンピックを
聖火がこの町へやってきてくれるのを
炎が、光が、あたりを明るく照らしてくれるのを
ベルリンオリンピックから4年後
ギリシア、オリンピアの聖火、プロメテウスの火は、今度は遥か東、
大日本帝国帝都東京、オリンピック開会式スタジアムへ
運ばれることになる
壮大な聖火リレー計画がぶちあげられる
ギリシア、オリンピアから、アテネ、イスタンブール、アンカラ、テヘラン、カブール、ペシャワール、
デリー、カルカッタ、ハノイ、広東、天津、ソウル、釜山
炎は人と騎馬により、ユーラシア大陸を横断し、
男たちの手から手へと渡され、日出ずる国へ届くのだ
ラテン語の諺「光は東方から」は「光は西方から」へと、
変わることになるだろう
彼女たちはたなびく日の丸の国旗を見あげていたが、
そこには、オリンピックエンブレム旗はもはやなかった
紀元二千六百年祭の花車だけが通り過ぎてゆく
11月10日、電力調整令のおかげで明かりの消えた薄暗い街で
彼女たちは待っていた
オリンピックを
聖火がこの町へやってきてくれるのを
炎が、光が、あたりを明るく照らしてくれるのを
けれど、オリンピックは開催されない
男たちは戦場へ出かけていった
けれど、聖火はここへは届かない
開催されることのなかった東京オリンピックから1年後
大日本帝国の軍隊は、実現することのなかった聖火リレーのルートを遡るだけでなく、
東方へも向かっていった
騎馬のかわりに爆撃機に乗って、炎で人間を焼き払いながら
大日本帝国の軍隊が、アメリカ、ハワイの真珠湾を爆撃していた
二度目の世界大戦がはじまっていた
炎を手にしたものたちが、闇の中へと降りてゆく
地底を掘り進んでゆく
ウランの原子核が分裂することが発見されていた
そのエネルギーを使えば、いまだかつてないほど強大な力を持つ爆弾、
つまり原子爆弾を造ることができるかもしれない
爆弾を造るために必要なウラン235は、約10キログラム
大日本帝国陸軍と理化学研究所の男たちによる、
極秘の原子爆弾開発計画「ニ号研究」がはじまっていた
ナチ・ドイツから同盟国の大日本帝国へ向けて、
壮大なウラン搬送計画がぶちあげられる
聖ヨアヒムの谷の「不幸の石」は列車でベルリン郊外へ運ばれ、
工場でウランを抽出した後、ドイツ、キール港へ
ウランは男たちの手から手へと渡され、潜水艦で大西洋の海底を進み、
日出ずる国へ届くのだ
かつてベルリンオリンピックの聖火が灯され、ヨットレースが行われたキールの港は、
炎で明るく燃えていた
海軍基地、市庁舎、セント・ニコライ教会、オペラハウスが、焼けていた
港のブンカーに停泊しているのは、潜水艦Uボート。通称、灰色の狼
47個の茶色い包みが、ウランが積み込まれる
Uボートの番号は、奇しくもウラン235と1番違いのU234
ナチ・ドイツの男たちと一緒に、大日本帝国の男たちふたりも艦に乗り込んだ
ウランは、運ばれてゆく
彼女たちは待っていた
オリンピックも、聖火もやってこなかったこの東京の街で、
暗い空を見あげながら
噂話だけが何度も繰り返される
いま、この国の科学者の男たちは、いまだかつてないほど
強大な力を持つ、ウラン爆弾という爆弾を造っているらしい
マッチ箱ひとつの大きさでニューヨークの街が吹き飛ぶらしい
炎を手にしたものたちが、闇の中へと降りてゆく
海底を、ウランを積んだ潜水艦が進んでゆく
大西洋を南下している途中、報せが暗号文で届けられる
ナチ・ドイツ無条件降伏
けれどドイツは降伏したかもしれないが、大日本帝国は
未だ降伏していない
ふたりの大日本帝国の男たちが流暢なドイツ語で主張する
このウランがあれば、ウラン爆弾を造ることができるのだから
ウラン爆弾さえ完成すれば、戦争にだって、勝てるだろう
投下目的地はサイパン
サイパンを爆破すれば飛行距離は長くなるから、本土空襲は免れることができるから
しかし艦はアメリカに投降することに決まった
ふたりの大日本帝国の男たちはルミナールをのみほし、
ベッドの上で重なり合うようにして不穏な鼾をかいていた
白いシーツがディーゼルエンジン用の重油に浸され、
黒く染めあげられる
投降を意味する黒旗が、浮上した潜水艦の潜望鏡に掲げられる
ふたりの男たちの遺体は、夜の海底へと沈んでゆく
彼女たちは待っていた
いまや、東京の街も、炎で明るく燃えていた
本土空襲がはじまっていた
彼女たちは待っていた
けれど、ウランはここへは届かない
爆弾は完成しない
あれほど待ち望んだその爆弾は、できるよりさきに、
落とされることになる
その名は、リトルボーイとファットマン
炎が人間を焼き払いながら、光があたりを明るく照らす
戦争が終わる
彼女たちの人生は終わらない
炎を手にしたものたちが、闇の中へと降りてゆく
©️Erika Kobayashi, “Image Narratives: Literature in Japanese Contemporary Art”, 2019, The National Art Center, Tokyo, Installation View, Photo: Shu Nakagawa
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