つづくねっこシリーズ① 「とるにたるちいさいこと」abe yoshi

「ちょうどいいストレスってなんだ?(伸びしろってなんだ?)」

 同じ年頃の子どもを持つ友人がいる。彼女は息子の算数の成績が思うように伸びないことを気にしていた。学校ではタブレットで学習をしていて、正答するとより難しい問題が出題される仕組み。試しに家で取り組ませてみると問題なく正答できる。どうもその息子は、難しい問題に取り組むのは楽しめるけれど、最初の方に出てくる簡単な問題には興味がなくて適当な回答をし、退屈な問題がまた出てきて…というループに陥っていたらしい。本来はもっと良い成績になるポテンシャルを持っているのに、このままでは進学に悪影響が出てしまうと友人は心配した。それで彼女が側でフォローしながら、週に何度か家で取り組ませることにした結果、学校での成績も期待通りに伸びていった。

 そんなある日、友人が学校の先生に呼び出された。「息子さんにプレッシャーをかけすぎじゃないですか?彼は学校で十分に勉強しています。放課後まで勉強させないでください。息子さんのストレスになっています。子供が子供らしく過ごせる時間はとても大切です。」学校の授業は14時までだし、宿題は無いし、家ではやっても20分くらいで、習い事がある日にはやらせてないし、自由時間は十分にあるはずだ。自分が子供の頃は一日2時間でも勉強させられたよ?!この国はやらせなすぎだよね??と友人。(友人家族も私たち家族と同じ頃にオランダ移住してきたロシアの出身)ちなみに、小5の息子が学校で先生に「オレ、家でも算数やらされてるんだよぉ〜だりぃ〜!」的な発言をしたことが呼び出しの直接の原因になったらしかった。

 ポテンシャルってなんなんだろう。今は見えないけれど、内に持っている力。ちょっと押せば伸びる力のことなのか、押せるところまで押して届くギリギリのところまでなのか、押さずとも勝手に伸びるところまでなのか。放って置くだけじゃ伸びない伸びしろをちょっと押して伸ばしてやらなきゃっていう友人の気持ちもすごくわかる。でも家で押されないとできないレベルは、すでにやらせすぎだっていう先生の方針も今では理解できる。この押すっていうのも、応援するのと負荷になる境ってどこなんだろう。

 年末に一時帰国をした。その時に見た教育番組で、子供向けにオーバードーズについて解説していた。スタジオで番組マスコットとナビゲーターのお兄さんが軽妙な掛け合いをしながら進行する。人に悩みを聞いてもらうだけで違うよねぇ〜という流れのあと、マスコットに「お兄さんは悩みはある?」と聞かれ、「ニュースで噛まないか、もう必死で…」と答える。すかさず「そんなのただの練習不足やし!練習しい!」マスコットのツッコミが入り、「はい!わかりました!」で終わる展開だった。
私には少し理解が難しかった。オーバードーズに至る理由として説明があった生きづらさと彼のそれは何が違うんだろう。 本人は負荷だと感じ、悩みだと言っているけど違うの? でも笑いになるくらい明白に、重みや正当性が違うんだろうなぁと想像してみる。

 ちょうどいい負荷ってなんだろう。ちょっとしたストレスやプレッシャーはみんなあるもので、なんなら進んで選ぶべき成長の良い機会だと信じてきた。自分でかける負荷なら”モチベーション”っていう名前の前向きな感じもする。でも、外から与えられてきた負荷を内面化させたときは、プレッシャーかモチベーションかわからないから、あんまり差はないのかな。

 私の息子は現在小学1年生で、3歳からオランダで生活している。日本語学習には、日本から持ってきたタブレット学習を使っている。と言っても、テレビを見る前に1文字なぞり書きをする、5分もかからずに終わるくらいのもの。日本の小学1年生レベルには到底追いつかないけれど、まぁ接点があればいいかくらいで取り組ませてきた。

 彼は最近、物事が少しでも思い通りに行かないと癇癪がひどい。学校では落ち着いているそうだ。つまり、ルールが理解できないわけじゃない。じゃぁ親を舐めてんのかと態度を厳しくしたこともある。彼にとって、親からのルールが明確であることは見通しが立ちやすいことであり、落ち着きをもたらす助けになるようだった。学校で頑張っていて、家で素の感情が出せるのは悪いことじゃない。特に珍しい態度じゃないかもしれない。でも、やっぱり毎日激しい感情に対応するのは疲れた。最近ますます力も強くなっている。

 一度、日本語学習をストップさせてみた。すると、かなり癇癪が減った。他にも本人の好きだったリスニングブック等、教育的だけど刺激にはなっているなっていうものも減らしたので、そっちが影響しているのかもしれない。わからない。それでも刺激は求めているみたいで、工作をしたりパズルをしたり本をめくってみたりと忙しそうだ。与えられる刺激と自分で作る刺激は別物なのかもしれない。

 たった5分やそこらの取り組みだったけど、日本の小学校に行っていたら毎日宿題で取り組むよりもずっと少ない量だったけど、オランダの土曜の補習校に通うよりずっと楽だったはずだけど、日本の友人から聞く小学校受験の準備より圧倒的に少ない量だったけど、本人も特に嫌がらず取り組んでいたけれど……それでもそれらを取り除いて少し情緒が安定した気がする。このくらいの日本にいたら”みんな”が取り組んでいる”ふつう”の課題も負荷になるなら日本には戻れないだろうなとも思う。私の中の「ふつう」とか「みんなやってる」という価値観もなかなかしぶとい。重すぎるプレッシャーはよくないってイメージはあるのに、”みんな”がこなしている事柄だと軽く見積もりがちで、本人にとって重すぎることでも甘えるなって捉えがちだ。

 先日、小4の娘の三者面談があった。渡された成績表を見て、娘本人が先生に質問する。最後に先生から、とある学習のレベルアップについて問われる。「あなたはこの教科についてよくできているから、次のレベルの教材に取り組めると思うんだけどどう?こんな教材になる、このくらいボリュームが増えて、このくらいペースが上がると思う。やってみたい?(娘モジモジ)じゃあ考えてみる?今週中に教えてくれたら教材を手配できるから。」私は正直、(やれるならやれよ!なんで即答じゃない?!)と思ったし口に出しそうになったけど、問われているのは娘なので黙る。私はしないといけないと思った負荷しかこなしてこなかった気がするから、それを自分の意思で選ぶ状況にある娘が不思議に見えるみたいだ。

 チャレンジはできるだけしたほうがよいとか、やりたいことしかやらないのはダメだとか、たぶん頭の片隅で思い込んでいたから、どれくらい?だれからの?そもそも必要?みたいなことを改めて考え出したのでした。考えすぎかもしれない。


プロフィール
abe yoshi
東北出身 36歳。大学進学を機に東京へ移り住む。就職(1)、結婚(1)、出産(2)、起業(1)、第一子の小学校入学まで暮らす。今は夫1人、子ども2人とオランダ在住。