7月26日(土)20時30分~ 恵比寿・POST
ゲスト:朝吹真理子さん、福永信さん

 

恵比寿駅前では、夏祭りのやぐらが組まれ、出店が立ち並んでいた7月末の土曜日の夜、

疾駆/chic 第2号の刊行に合わせたトークイベントを朝吹さんと福永さんをお招きして、POSTで開催しました。

小説を読むことが苦手でも、お二人の作品だけはなぜか読めてしまう。

新しい作品やその文章が早く読みたいと文芸誌へ掲載されたり新刊が刊行されるのを楽しみに待ってしまう。

そんなおふたりの声を傍で聞きながら、疾駆/chicのこと、文を綴ること、

対話すること、などなど、色々なことを当て所なく話してみたい。

そう願って、福永さんには遠路京都から、朝吹さんには福永さんも出るから是非にと半ば強引に、ご登壇いただきました。

 

疾駆/chicは、本誌の刊行と合わせて定期的にトークイベントも開催しています。

様々なゲストとともに、疾駆/chicのことはもちろん、ゲストの方々の取り組み・試みについて話ながら、

今の時代について考える視点を広げていきたいと企図しています。

今回から、参加いただいた方の感想とともにトークイベントを振り返ります。

当日の内容を充分にフォローする方法ではありません。けれども、トークイベントのあと、

参加いただいた方々の個々の感想が、いつか枝葉のように広がって、疾駆/chicの姿を引き立ててくれることを願っています。

 

今回は、会場であるPOSTの錦多希子さんと小誌編集スタッフの感想から。

ご参加いただいた皆様、感想やご意見など、今後の開催に当たっては是非お聞かせください。

 

Email にて受けつけております。Emailアドレス : info@chic-magazine.jp

トークイベントの感想文

POST 錦多希子さん  「手元に置いておきたい雑誌」

疾駆のトークイベントは、そのとき招かれたゲストとの相互作用によってさまざまな方向へと拡張をしていく。台本はもちろんあらすじさえない即興の講演は、毎度どう展開していくか聴き応えがある。
今回は、モノ書きのプロ=作家として活躍されているお二方を迎えての1時間半。
同じく出版物を制作して世に送り出している疾駆編集チームとの掛け合いが繰り広げられた。なかでもゲストのお二方と共感した着眼点があったので、そのことを挙げて感想文とさせていただくことにする。
彼らが受けた疾駆の印象として、「立派な装丁をしたこの雑誌は、もはや書籍と言っても過言ではない。とてもじゃないけれど捨てることはできないし、手元に置いておきたいモノだ」といったような感想をもらしていた。

疾駆は向こう10年を見越した息の長い取組みを臨んでいるだけあり、その内容は一過性のものではなく、たやすく淘汰されないものを見つめている。
生きるうえでの彩りとなるもの、視野を広げるためのきっかけになるもの…
その在り方はそれぞれだが、各々の読者のペースやタイミングで、繰り返し読み続けていきたくなるような内容がつまっている。

ふと読み返そうとしたそのとき、手に取りたいと思えるたたずまいであることも大切な要素だ。出版物というものは、ブックデザインや文字組み、レイアウトという視覚的な要素によって、全体として受ける印象が歴然と変わる。創刊号より愛読しているわたしとしても、疾駆の装丁は群を抜いてすばらしいとつねづね感服している。それぞれの執筆者が腰を据え、冷静なまなざしをもとに綴るコンテンツと、凛としつつも軽やかさをまとう装丁とのバランスの絶妙なこと。そして、本誌自体が軽量なのも、手軽さや持ち運びの容易さなどの利便性と物質的な魅力を兼ね備えていてよい。

この「手元に置いておきたい」という感覚は、内容と装丁の相乗効果によるものなのだろう。
自身の執筆した作品を書物という形であらわしているお二方から太鼓判をいただいた疾駆。
今後どう進化していくか、そして変わらない部分を持ち続けていくのか、目が離せない。

編集補助 MAIKOO  「会話ー言葉ー文字」

「言葉」と向き合われているおふたりのお話、とても興味深く聞き入りました。「疾駆」をどう感じられているかも率直にうかがえた貴重な時間でした。

私は「疾駆」の制作過程において、取材地の根室にも太宰府にも同行していないため、その内容に触れるのはまず取材時の録音を文字起しする時です。その感じはとても面白いものです。自分が存在していなかった空間での会話や物音それぞれが、聴覚のみに飛び込んできます。視覚的な身振りこそ削がれますが、その会話の温度というか、漂っている空気感は会話の途切れる時間や声の感じでなんとなくつかんだような気分になります。そうかと思うと、今度は原稿が編集長からあがってきます。それを読むと、文字起しから自身の中にできあがってきていた取材地の像とはまた違う様子が感じ取れるのです。それから、吉野さんの写真。写真を初めてレイアウトの時に見ると、またまた違う印象が生まれます。

朝吹さんが話された、会話が文字になったときに感じる違和感は、この作業工程の中で自身も日々感じ、とても共感することでした。文字起しの際、同じ単語でも、その音声が持ち得る震えや時間的な間と言った要素は、文字という画一的な形をとった途端に、ある意味において消え去ってしまいます。そんな時に考えるのは、何とかしてこの違和感を埋めたいということです。福永さんがご指摘くださいましたが、「疾駆」では、インタビューを文字にする際、極力その地域の言葉や、その方の表現をそのまま文字にしようと試みています。擬態語、擬音語もその人らしさの出る要素です。例えば根室の高野さんが話していた「ちょちょちょちょちょっと」という言葉を「ちょちょっと」と省略して文字にしたときに消えてしまうもの。それが少なからずあるような気がしています。まだまだ始まったばかりの雑誌ですが、これからも「言葉」の持つ可能性と限界、両方を感じながら文字と向き合っていくのだと思います。

福永さんが「疾駆」は、開けるのにコツがいるドアみたいだと話されていました。「いいにおいがするけれどおいしいのかな」「楽しそうな気配がするけれど楽しいのかな」と思うと。この何かが起こっていそうな気配がするというのは、とてもうれしいことです。今後、このちょっと変わったドアの雰囲気も少しずつ変わっていったら楽しいなと個人的に感じています。内容はもちろんですが、定期的に開催しているトークイベントの形態も、もっと多様に、「疾駆」を通じて様々な方とつながっていけたら良いなと、改めて思いました。

トークイベントのようす

  • 左から小誌編集長・菊竹、朝吹さん、福永さん、小誌デザイナー・田中